旧町名標柱「旧香澄町字八幡石」
きゅうちょうめいひょうちゅう かすみちょう あざ やわたいし
明治のはじめはおよそ30ヵ町といわれたが、明治7年(1874)、民間に開放された三ノ丸内が14の小字を持つ「香澄町」(霞城公園は昭和24年(1949)に「霞城町」と名づけられた)と新たに加えられたが、戦後の街整備に伴い、多くの町名が惜しまれながら消えた。
しかし、城下町時代の暮らしぶりや身近な歴史や文化を知る手がかりの一つとして、平成元年(1989)、山形市が市制施行100周年を記念し、黒い御影石に旧町名を刻んだ標を47柱設置。
八幡町の本地仏であった弥陀の梵子を刻んだ文和4年(1355)銘の石碑があるところ。八幡神社の祭典のときに神輿を安置した石があったともいう。
場所 | 山形市大手町 |
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【更新日】2025-06-30